'02 FIFA World Cup Korea/Japan
2002World Cup Korea Japanにおいて、私が生観戦したのは、日本―ロシア、ポルトガルーポーランド、セネガルーウルグアイの3試合である。
★ 6.9 日本―ロシア
試合当日。横浜のホテルにチェックインを済ませると、応援モードに着替えていざ!新横浜駅へ向かう。街のあらゆるところにブルーの軍団。新横浜駅前広場にはダンボールを掲げたサポーターが溢れていた。「チケット探してます」どこかで見たような光景。あぁ、トゥールーズもこんなんだった。私もすんなりとチケットを手にした訳ではないが、また何ともいえない気持ちになる。
「ごめんね~応援頑張るからね~」
呟きながら歩いていく。
横浜国際競技場の正門前。日本とロシアの国旗が描かれた白い巨大バルーンが目に飛び込む。そこにびっしりと埋まっているサポーターの応援メッセージ。スポンサーのイベントブースの中を抜けてゲートへ。ゴール裏の二階席で試合開始を待つ。
スタンドが青に染まった。日の丸が揺れる。ライトOFFでイルミネーションの演出とともに選手紹介が始まると、ボルテージが一気に加速。やがてFIFAアンセムが流れ出して感無量。
うるうるうる......ついに、このときが来たのだ。
試合開始。この試合、黒いフェースガードをした"バットマン宮本"をはじめ、DFの集中力は常に保たれていた。お互いにチャンスを逃して0-0で後半へ。日本がこちらに攻め込んでくる番。目の前でゴールが見られるか?攻撃ではイナが再三良い動きで飛び出す。が、際どいピンチのシーンと交互に向かえて心臓に悪い。そしてリスタートから、浩二のクロスが入った瞬間、う?!その瞬間イナまでボールが渡り、シュート!うお!?
Gooooal!決まった!!お、おおーーーーーーーーーーー!!!
スタンドは狂喜乱舞。紙ふぶきが舞う!誰彼かまわず抱き合う!1-0。
それからは目の前で何度もチャンスを迎えるが、そのたびにスタンドはため息に包まれる。枠に飛ばせよ~~。カウンターからヒデの20mロングシュートはバーを叩く。
後半の後半、イケイケのムードで中山ゴンが登場。更に歓声が高まる。さらに稲本→服部で守備に集中する。
1-0のまま残り15分、10分...ロシアの最後の猛攻に必死に耐える。
だー、心臓に悪い、こっちに来いよ~~。
残り5分...殆ど日本エンドでボールが動く。もはや必死に祈る。絶対勝つ。勝つもん。言いつづける。ロスタイム、祈りつづける。もはや守り倒すしかない。日本にそれが出来るのか。しかし祈りつづける。だー、時間まだかよ~~。
そして。長い笛。
1-0。W杯初勝利の歓喜の瞬間がようやく訪れたのだった。。
日本戦から一夜明けた早朝、余韻もそこそこにあわただしく成田空港へ向かった。これから韓国での観戦である。
3日連チャンで3試合。なんの、これぞWorld Cupである。
午後、インチョン空港に到着。初めての韓国だ。しかし生憎とかなりの雨が降っていた。同じように日本から飛び立ってきた人もいる。すでに各地へ向かう高速バス待ちの行列が出来ていた。同じ試合を見るという人たちにも出会う。
空港では、キムチや全州韓紙の扇子といった特産工芸品のパンフレットを手にしたお姉さんがあちらこちらに出没し、行列の中の人たちに配りまわっていた。宣伝を兼ねているとはいえ、そのサービス精神に敬服する。
★ ポルトガルーポーランド in全州World Cupスタジアム
空港で待つこと3時間...。生憎の雨で交通渋滞がひどく全州行きのバスが来ない...。だんだん皆にイライラ感がが募る。臨時便を含めてようやく到着したバスは、全州のバスターミナル行きから、スタジアム直行便に変更された。みごとな迅速な対応!(いや、フツーか?)そして、何とか試合開始に間に合う。
ゴール裏2階にて観戦。
全州のスタジアムはサッカー専用だ。2階スタンドは傾斜6,70度はあろうかという急傾斜で階段を下りる足にかなり注意が必要だが、それ故、非常に見やすい。
日本人のポルトガルファンが多数観戦していた。地元の人がそれぞれの国の応援団に加勢して声援を送る。
このW杯でポルトガルの味がもっともよく出た試合だった。ルイ・コスタとフィーゴが起点となり、大柄なバックラインを足元から崩していく、効果的なサイドアタックとチェンジ。
こちら側にポルトガルが攻め込む。おお、CKを蹴る生フィーゴだよ、感無量。
ポルトガルが力の差を見せつけ、3-0。しかし、悲しいかな、大会中にポルトガルらしさの勝利が見られた唯一の試合となった。
その夜は、期間中ホストファミリーとなっている金さん宅にホームステイ。ウルルン滞在記であった。→おまけnote。
★ セネガルーウルグアイ in水原競技場
ポルトガルーポーランド戦の翌日、全州から高速バスで水原(スウォン)へ移動した。
全州でつい長居をしてしまい、またもや時間際どい!しかも直行で観戦のため、荷物を抱えての大移動!しかしダーーッシュ!
タクシーを捕まえ、大渋滞の中を進み、何とかスタジアムにたどり着く。
ああ、キックオフに間に合わず。席より試合じゃ。席を探すのはひとまずおいて、通路に腰を下ろし観戦。ハーフタイムにようやく席に落ち着いた。
フランスを倒したセネガルとレコバ率いるウルグアイの攻防は見応えあるものになった。これに勝てば決勝T進出が決まる。
Senegalが組織の守備と身体能力の攻撃で3点をGET。生ディウフ、さすがの速さに驚嘆である。しかし、それからが見せ場であった。
ウルグアイがPKを獲得して3-2。スウォンの暑さはさすがに堪えたか。守勢に回り始めたセネガルの運動量が落ちてきたところで、カウンター気味の展開から右サイド、フォルランがエリア外からファインシュート!同点に追いつく。すっげーー。
大喜びのベンチ。ウルグアイの底力を見た気がする。
3-3で終了。
ドローはしかし、ウルグアイには吉と出なかった。その後...セネガルが16強へ進出した。
試合後、ソウルのステイ先に向かうため駅行きのシャトルバスに乗り、水原駅へ...の、はずが。
到着したところは何だかよく分からない駐車場。どうやら乗り場を間違えていたようだった。てっきり駅かターミナルへ行くものだと思って乗ってしまった!・・ああ、お馬鹿。焦る。
とりあえずバスで戻ろうとするものの、水原駅へ行くバスはどちらだ?上りか下りか?
路線図とにらめっこをしていると、学生らしい一人の女の子が英語で声をかけてきた。
「どこへ行くの?」
片言の英語で、これからソウルのステイ先まで行くことを伝えると、彼女は直接ソウルまで行くバスがあることを教えてくれた。日が傾き始めセンチな気分になりかけていた私は、近道とも言えるそのバスの乗車を迷わず選ぶ。反対側のバス停まで歩き、無事に乗れるまで一緒に付いていてくれた。大荷物を抱え、おなごひとりでサッカーを見に来た日本人がオロオロしているのを見かねたか.....本当に感謝、感無量(TT)
これも、World Cupである。

Omake Episode
★パルマ行きの列車内での事。
旅行初日、ミラノからパルマへの行程がかなり夜遅くになってしまった。スーツケースを抱え、列車に乗り込む。初めてのパルマ行きで降車を間違えてはならぬと、近くのイタリア人の男性にパルマに着いたら教えてくれるように頼んだ。その人はパルマの先のボローニャまで行くらしく、つたない英語とイタリア語でしばらく話をする。
なんとなく打ち解けてきたものの、奴の目の色がちょっと変わってきた?気がする。
深夜、日本人の女一人。列車内。相手はイタリア人。ちょーっと、ある意味、危険なムードを感じる...。
そして、なんとなくトイレに誘い込んでいるではないかっ。
ヤバイである。その気になってるよ??こんなところで大人の遊びをするつもりはないよー。
笑い、ごまかし、逃げ、間一髪でパルマに到着。
「じゃあ、さようならー」とそそくさと笑顔で降車。キケン、キケン。やはり、イタリア人は侮れない...。
しかし、やはり自分もNOと言えない日本人だわ・・・。。
★フリータイムにて。
観光のためパルマからミラノへと出かけた。ミラノ近くになっていきなり国鉄が止まる。
???みんな降りている。
駅員に尋ねると、「メトロ...」とか言っている。メトロで行けということらしい。どうやらショーペロ=ストライキだった。
ここまできたので仕方なく地下鉄でミラノ中央駅まで向かう。
ドゥオモ、ガレリア、サン・シーロなどを観光した後、そろそろ帰ろうと駅に来てみると、ストのため大幅なダイヤの乱れ。パルマ行きの列車は何時に出るんだ?!
まさか、帰れなくなったらどうしよう...。
語学に長けていない者がひとりだと、こういう時に困り者である。今思えば、バスという選択肢もあったのだが...ひたすら列車が出るまで待っていた。
イタリア国鉄、スト要注意。無事に帰れてホントに良かった。
★ 五月、ミラノ観光中のこと。
ミラノの空に雪!?白い綿のようなものがふわふわと空いっぱいに漂う。タンポポにも犬の毛にも似ている。正体は、ポプラの綿。樹の枝と根元を真っ白に覆い、アメリカシロシトリの大群のようでちょっと...いただけない。ミラノでは毎年この時期の2週間ほど、訪れる風景だという。
スコルツォ城見学にやってきた。友人と歩いていると突然、自転車を引いたおじいちゃんが日本語で話し掛けてきた。Tシャツに短パン、ちょっと赤鼻の陽気なおじいちゃんはサイクリングの途中。
「ワタシ、日本、ニホンジン、ダイスキデスー。ワハハハ」
おもろい。
すごく日本語を話している。独学で1年間勉強したという。職業はスポーツ系カメラマンらしい。
む、?サッカーも撮るのか?これはもしや...?簡単なイタリア語についても教えてくれたりして、30分ぐらい立ち話をした。なんだか盛り上がり、あとで喫茶店(きっさてんかよ)でお茶しよう、という話になって約束までした。
半信半疑であったが、もし運がよければ写真なども見ることができるかも...という期待を胸に、とりあえず待ち合わせ場所に出かけてみる。
しかし...。いない。ミラノのドゥオモ前、それらしきじーちゃんの姿はない。結局空振りに終わった。
まあ旅先のことであり、すっぽかし、なんて感でもなく、おもろいじいちゃんと話をしたことが旅の思い出として残っている。
★ オランダ・キンデルダイクにて。
風車の風景で有名な場所、キンデルダイクはロッテルダムから日帰りで訪れることが出来る。
観戦の合間に列車とバスを乗り継いで到着。
バスに乗るとき、運転手にキンデルダイクへ行くかと聞いていたのだが、着いた時に此処だと教えてくれた。感謝である。
天の蒼と地の若草と小川のせせらぎでまとまる、のどかな風景の中の一角に風車小屋が点在していた。
ここで、日本の女の子と出会う。ひとり、高校卒業旅行でオランダを周遊したという。オドロキ!自分よりもうわてだ。
しばし散策をともに楽しむ。
彼女とは帰路の途中で別れたのだが、日本への帰国の際、同じ飛行機に乗るという偶然に、またびっくりした。
しかも同県人だった。海外で「世の中狭い」と感じたものである。だから旅はおもしろい。

★ 韓国うるるん滞在記
'02W杯、韓国では民泊サービスが設けられていて、インターネットでホームステイなどの申し込みが出来た。このサービスを利用し、あらかじめ登録されたステイ先の中から選ばれたお宅に格安で泊まった。
全州のホームステイ先は、金さん宅。金さんとはポーランドーポルトガル戦の試合後に合流した。帰路を急ぐ観客でごったがえしのスタジアム。私を呼びかけるプラカードを手に、金さんご家族が待っていてくれた。途中で知り合った日本人の男性が宿探しをしているのを話すと、現地ボランティアのアジョシ(おじさん)が快くホームステイの受け入れを申し出てくれた。この土地の人は人情に厚い。私も一安心して、ご家族と一緒に金さん宅へ。
家長の金さんーハラボジは流暢な日本語が話せる人なので助かった。理由は歴史的背景が少し絡んでくるのだが。
かつて日本の支配下にあった時代、日本語教育を受けた経験を糧として、こうして私たちとの交流を図る。背景を思うと涙がでてくるのだった。
そんなハラボジの家は全州の史跡「慶基殿」のすぐ横にあり、かなり裕福と想像できる邸宅だった。夜遅くにもかかわらず、家庭料理で全州名物の"ビビンパブ"をご馳走してくれた。美味!!本場は違う!
翌日は市内の名所などを案内していただいた。観光案内のボランティアの人も気さくだった。
ご家族と日本語、英語、韓国語を混ぜながら会話を楽しんだ。お土産も頂いてしまった。金さんの奥様―ハルモニは全州工芸品である扇子をお土産に手渡してくれた。なんと自作の扇子である。心が温かくなった。このあたりでウルルン・・・。
スウォンに向かうため別れを惜しみつつバスターミナルへ向かったのだが、送ってくれた運転手さんから思わぬ軽食の差し入れが。飲み物とスルメイカ。
もう、うるうるウルルンである。
一泊だけだったが、短い時でもここ韓国の人たちの人情に触れ合えた旅。感無量。